はじめに

 ベテランという言葉は元々は引退した軍人のことを指していたという。そこから転じて経験豊富な人員の事を意味するようになっていった。工場でも企業でも軍隊でも、その役割はほぼ同じである。その経験を活かして若手の育成を行い、困難な作業をこなす。そのどちらも行うというのがベテランである由縁であり、それでこそベテランと呼ばれる。

 だが、その中にはその内の後者のみを選び続ける者もいた。ただ自分の技能を磨き続け最前線で戦い続ける者。職人であればそれは理解できる。より良い物を追求し続けるその姿勢こそが技術を進歩させてゆくのだから。

 しかし、軍隊においては話は別である。文字通り戦い続ける命知らずを理解することは難しい。ただその技を磨きたいのか、困難な任務をこなすことに魅了されているのか、はたまた命の奪い合いがしたいのか。誰にもそれは理解できないし、彼らも理解されようと思っていないだろう。ただ一つ言えることがあるとすれば、それは彼らが実に優秀であるということだけであろう。優秀であるが故に半ば時代に取り残された彼らは決してエリートなどではない。もっと泥臭い何かだ。

 しかし、経験とその能力は決して劣ってはいない。それこそが彼らの誇りである。



Airbike stage



@部隊の成り立ち

 彼らは特別に集められたわけではない。最初は古強者が率いるただの部隊だった。特殊部隊でもないただの陸戦部隊。隊長は下士官ではなかったが、同期に優秀な人員がたまたま多かったがために昇進できず、ずっと部隊を率いていた。そんな外れくじを引いた身ではあったが、特筆するような事件にも巻き込まれず任務を続けていた。戦場の常として何人かは殉職したし、何人かは昇進し転属し、引退してゆく者もあった。歯の抜けたようになったところには新人が入り鍛えられまた抜けてゆく。何も変わりない、ただの部隊。隊長にも変わりがあったわけではない。死地に赴き、なるべく死なせないように戻ってくる。それだけであった。

 ただそれだけを繰り返してゆく内にまず数字に変化が現れた。隊員の損耗率が減り始めたのだ。消極的に動いたりいくつかの必須ではない目標を見逃していればそうもなろうが、任務の成功率は落ちていなかった。特殊部隊出身が入ったとかいう変化があったわけではない。変わったのは隊長の動き方であった。極端に索敵能力が上がったとか、射撃が達人の域に達したとか、そういう類の物ではなかった。ただ、決断が速くなった。迷いもするし間違えることもあるが、リカバリも速かった。その速さが部隊の隅々まで気を配る事を可能にし、まるで自分の手足の如く素早く指示を与えることに繋がっていた。そしてその速さが、わずかではあるが隊員に考える余裕を与えた。命令通りに動くのが兵とは言え、ただ盲目的に指示に従っているだけでは機械と変わりない。指示が簡潔であった場合それがどういう意味かを考える事も必要だ。

 つまり、考え行動するという能力は、兵の実力に直結する。それだけではない。戦場にはストレスが溢れているが、その中で通常通り動くことができるのはそれに慣れた者だけである。慣れすぎても何も感じなくなってはいけないが、全く動けないというのは論外である。これらのような重要な能力ほど訓練ではなかなか身に付かない。実地で実践するからこそ身に付くのである。わずかでも余裕があると言うことは、その機会が多いということであり、兵達にとってかなり大きなアドバンテージとなる。そのアドバンテージを利用することができた者は死ににくくなり、長く戦場に留まりはじめた。長く戦場にいるだけで経験を積む機会が増える。それはさらなる成長を可能とした。その繰り返しの結果、高い任務遂行能力をもった常ではありえないただの部隊ができあがっていった。

 それだけ優秀なのだから他の部隊への引き抜き、昇進があったのは当然ではある。何人かはそれに従いはしたが、しかし、彼らの多くは望んでそこに残った。怖くなかったわけではないが、それを越えた先にあるものに気付いてしまったのだ。決して平穏無事に過ごしたくないわけではない。しかし、そこに辿り着いた以上、何かしらの要因で脱落するまでは戻れなくなってしまったのだ。戦えないほどの怪我を負うか、死ぬかするまでは。

 もう一つ理由がある。
 その向こう側を知ってしまったのは兵だけではない。隊長もその先に魅入られてしまっていたのである。自らをそこまで至らせてくれた恩人を、そこに留まらせることで死なせるわけにはいかない。そこにいたままにさせてはいけない。かつてその部隊に所属していた者の中には一番の理由はそれだったと、語る者もいたという。

A部隊構成

 ベテラン部隊の規模は中隊である。その構成は特筆するほど変わったものではない。麾下に小隊4つ、特殊車両、通信兵や伝達兵などである。総勢180人程度の部隊ではあるが、第七世界日本の人口と比較して考えればかなり大きい中隊と言える。それぞれの小隊もほぼ同様な階層構造となっている。ここまで見ればただの部隊であるということは明らかである。

 それぞれの小隊には役割がある。これも当たり前ではある。まったく同じ動きをする部隊など意味はない。

 第1小隊は偵察。装備は軽微に徹底し、行動速度は拙速。常に隠密に行動し、部隊の目となり耳となる。

 第2小隊は工作。敵の大型目標の破壊、塹壕など自部隊の防御設備の設置などを担当する

 第3小隊は攻撃。最大戦力を有し、歩兵相手だけでなく敵施設への突入も行う、最も損耗率が高い小隊である。

 第4小隊が指揮。正確に言えば隊長の護衛及びその直掩である。隊長に近づく敵を排除し、またその意志を最も分りやすく表現する部隊でもある。

 第4小隊にはもう一つ他の小隊と異なる特徴があった。その指揮官が中隊長その人であるという事だ。小隊長がいないわけではないが、ほぼ中隊長の補佐と化している状態なのだ。今や中隊を預かる身ではあるが、以前はただの小隊の一員であった。そこから昇進し小隊を預かる身となり、指揮官としての経験を積んでいったのだ。その時率いていた部隊が第4小隊である。長く居たよしみで率いている、という訳ではない。そんな理由で贔屓にするほど彼は甘くはない。どんなに素晴らしい指揮でも現実にならねば意味がない。それを実現し続けた部隊だからこそ彼は信頼を置き、常に手元に部隊を置くよう尽力してきたのである。今でもこの部隊は中隊長の意志を最も如実に表すため突入、防衛、隠密行動や偵察など、いずれの作戦でも変わりない働きを見せている。それだけに隊員の練度は最も高く、他のどの小隊と模擬戦を行っても負けたことはないと言う。

B武装

 ベテラン、と呼ばれる部隊だがその装備まで古めかしいわけではない。サイドアームとしてハンドガンやナイフは自らが信頼を置く古くからの相棒を用いることが常であるが、部隊の共通装備やメインの武装は最新のものを用いる事が殆どだ。古参であるという事はそれだけ長い間戦場で生き抜いてきたという事である。古い武器にこだわれば対応できない状況が出てくることもあるだろう。対応できない状況が出てくるということは、死ぬということだ。そのためには自分が信頼を置いている武器がどこまで使えるか、新しい武器をどう使えばいいのか、そこにこだわりを持つべきなのか、次々変えてゆくのが良いのか。どのバランスが良いのか判断する平衡感覚、状況に適した武器を使いこなす技能、能力を兼ね備えていたからこそ生き抜いてこられたのである。その上で最も多くの兵が選択しているのが上記の組み合わせである。上記の第4小隊にはあくまでも自分の主義を貫き続ける物好きもいるが、そうでなくては中隊長についてゆけないのだという。

C作戦遂行能力

 彼らが行うことができる作戦の種類は多岐に渡る。単純な偵察作戦から敵主力の破壊、浸透突破に破壊工作、防衛戦に至るまでどのような作戦であっても十分以上の能力を発揮している。単純にそれぞれに特化した小隊がいるというだけではなく、それ以外の小隊も得意分野以外のサポートを行うために訓練を繰り返しているため、その連携が十分にうまくいくということもある。

 しかしいくら連携の訓練を繰り返しているからと言って、どこまでもうまくいくという訳ではない。そこで指揮官がそのつなぎを行うのである。隊長からの指揮があればこそ有機的に連携を行う事ができ、より一体となった作戦行動が可能となるのである。そのような部隊の形が現状に落ち着いてから、彼らが従事した作戦は数えれきず、そしてその多くを成功に導いてきた。多少は失敗を起こすこともあったがその率は限りなく低く、またその失敗と言うのも最低作戦目標『しか』達成できなかったものを指している。つまりはすべて成功しているということになる。そこまで求めるからこそ彼らは常に高い錬度を保つことができるのである。

D作戦行動の実情

 モデルケース、国内部隊との演習(SS)

E総括

 ベテランというだけあり、普段の彼らはただのやさぐれたおっさん達である。

 しかし作戦となれば指揮官であるエフナーを先頭に、戦場を駆ける暴風となるのである。そしてその風に導かれ、次の世代も同じ道を走る。彼らは教えるということはしない。ただ見せるだけ。それこそが彼等の戦い方なのだ。